辟穀(へきこく)- 2000年前の「穀物は不要である。」という養生法

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150年前のローカーボ・ダイエットを読まれた奈良県の山中純一(仮名)さんから「中国では、2000年以上前にすでに穀食を断つという辟穀(へきこく)という養生法が神仙術の中に存在しています」というメールが届きました。

そこで、道教、東洋医学に造詣が深い糖質セイゲニスト山中さんの観点から、辟穀とそれに関連する神仙術について伺ってみました。

7世紀の道教の経典

【出典:三洞珠囊-7世紀の道教の経典】
玄古之人所以壽考者造次之閒不食穀也 玄古の人の壽考なる所以の者は、造次の閒、穀を食わざればなり。『農耕生活以前、大昔の人々は穀物を食わなかったゆえ、長壽であった』という意味。

辟穀(へきこく)とは

辟穀は、断穀(だんこく)、絶穀(ぜっこく)、絶粒(ぜつりゅう)とも呼ばれ、ずばり穀物を食べないことです。中国では、穀物は不要であるという考え方が、すでに前漢初め(紀元前200年頃)に確立していたのには驚かされます。

古代中国では、狩猟・採取時代から定住・農耕時代の移行期に、人々の健康状態が悪化したことに気づき、その原因が穀物であることをすでに突きとめていました。食、健康、生活に関する鋭い観察力と判断力により導き出された辟穀は、他の古代文明に見られない科学的精神に基づく養生法と山中さんは考えています。

神仙術と辟穀

さらに、辟穀は中国古代の神仙術も関係してきます。

神仙となり不老不死を目指すには、辟穀と呼吸術はとても重要でした。清らかな気を呼吸術で体に取り入れても、穀物の気で体内の気がにごっていては意味がない。ゆえに、穀食を断つことは神仙術には必須だったのです。気の思想から有毒と判断したものが、現代になり科学的に、それが糖質であると説明されたわけです。

さて、自らも、導引を実践する山中さんは、現在の糖質制限を神仙術に照らし合わせました。

糖質制限は食事だけに着目していますが、神仙術は、辟穀を入口として、呼吸法としての吐納服気、体操としての導引、瞑想法としての座忘などの身体技法によって、健康と長寿を目指そうとした点が優れているのではと指摘しています。

神仙術を含めた老荘思想では、ギリシア思想やキリスト教のように、人間は神の姿に似せて作られた崇高な存在ではない。人間は病気や運命に翻弄され、のたうち回る存在だからこそ、逆に健康と長寿を目指していたと分析しています。

外丹と内丹

それでは、なぜ神仙術は、辟穀だけでなく呼吸法などの行法も取り入れるようになったのでしょうか。

神仙術の中で、不老不死の目的で劇薬の水銀(丹)を主原料とした丹薬を服用する長生術を、外丹と呼びました。しかし、外丹により丹薬を服用した多くの人が命を落としました。そこで、外丹の代わりに不老不死の素となるものを体内に求める内丹という考えが生まれ、様々な行法が探求・実践されました。

内丹は、10年程前ならば一種のオカルトと見られていましたが、糖が外部から摂取しなくても体内で合成できる糖新生やケトン体代謝が一般に知られるようになり、人体で体に有効な薬効成分を創成できるという点で、現代の生化学を先取りしていると山中さんは評価しています。

肉食はタブ-?

さて、糖質制限では、穀物は控えますが、脂質とたんぱく質はたっぷり摂りながら痩せていきます。はたして、断穀の神仙術では「草と露を食べる」仙人のイメージどおり、肉食はタブーだったのでしょうか。

山中さんは、歴史をひもときながら解説して下さいました。

採取・狩猟時代においては、肉は主食ですが、狩りが成功しない限り食料とはならず、貴重な食料でありご馳走でした。そして神々への敬意を込めて肉をお供えする風習が、神々の時代(狩猟採取時代、定住農耕時代前)から続きました。

道教では、太古の神々が食べていたとされる肉がシンボル化され、お供えとして『五牲(牛・羊・豚・犬・鶏)』になったと理解しています。『牲』はイケニエを意味しますが、他の古代文明での人間や動物がイケニエになるのとは意味が違います。『五牲』は、人間にとっての食用肉であることがポイントで、馳走としての肉類が選ばれています。

現在の台湾などの道教の祀りでも、祭壇に丸々と太った豚を捧げます。道教の神々うちの一人神農は、牛の頭と人の体を持つ半獣半人の姿をしています。信仰の対象である神の姿が牛というのも、自分たちのご馳走のシンボル化ではないでしょうか。

これが、辟穀の修行になると、肉食は避けるべき行為なのですが、山中さんの考えは違います。

修行のために人里から離れた深山幽谷では、食料の調達は非常に困難です。たとえ食糧がなくとも、穀物は生存には不要な食物という知識をもつ道教修行者の間では、餓死を避け、生きのびることが優先され、肉食を肯定する現実的な対応が行われたと考えるのが自然です。さらに、供物という概念を操作して、神々に供えた後のおさがりの肉は、修行中でも食べてもよいという論理を正当化して、実際には肉を食べていたと推測します。

肉食に関しては、辟穀が現在の糖質制限より劣る点があると山中さんは指摘します。辟穀が観察と実証による養生法ならば、肉食についても明快に肯定されるべきはずが、そうではないのです。現代の糖質制限が科学的に肉食を積極的に肯定している点では、一貫性のない辟穀より、優位性があるとみています。

辟穀の今

紀元前に中国で養生法として確立した辟穀ですが、その後中国医学の主流から外れ、漢方医ですら糖質制限を西洋医学の治療法として考えています。

「先人の知恵から学ぶ」最新科学の知見に基づき糖質制限を実践している現代人にとって、辟穀について考えを巡らせることは、過去の記録をもとに糖質制限を別の視点から見直そうとするアプローチです。

中国考古学史上最大の発見の馬王堆漢墓墳からも辟穀のことを書いた文章 『却穀食気』が出土したように、これからも過去の記録から学ぶべきことがあると思います。

こうしてみると2000年以上前から「穀物うまいぞ、みんな食おうや」という罠に、定住人類すべてがハマってはいなかったようです。この不老不死を目指していた人達が、いわゆる糖質制限の第一世代と言えるでしょう。

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